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鹿島自動車センターの歴史~創業編~
- 河谷雄二
- 2018年6月15日
- 読了時間: 2分

今回から数回に分けて当店の歴史についてお話しします。
ご興味のある方は読んでみてください。
1937(昭和12)年
盧溝橋事件の年に私の祖父 河谷久八(写真左から2人目)が市内高津原で「河谷モータース」を起こしました。
クルマ時代が始まる前のことで佐賀県下14番目の開業です。
まだ車を持ってる人の方が少ない時代だったので、先見の明というか新しもの好きというか
そういうじいちゃんだったようですね。
写ってる乗り物は「オート三輪」というやつですが、私も実物は見たことありません。
1967(昭和42)年
今の基礎になることがたくさん起きます。
私の父 久人(写真中央の学帽かぶった子)が二代目社長になると同時に今の北鹿島に移転します。

目の前の国道もジャリ道だったそうですが、写真の工場建屋は今もそのまま使っています。
なんと物持ちの良い会社でしょう。
会社名も「鹿島自動車センター」に変えて個人事業から有限会社へ法人化。
そして今の工場長中山が17歳で入社してくれました。
今も現役です!
世の中ではカラーTVの放送が始まった年でもありました。
しばらく経って1995(平成7)年
阪神大震災の年に私河谷雄二がサラリーマンを辞めて帰ってきます。
あれから22年も経つのかーと武田鉄矢のような気持になります。
自分のことをバラすのはちょっと恥ずかしいですが、そのへんのいきさつは次号でお話ししましょう。
しばらくお待ちください。